もともとはテレビ・ラジオの普及で寄席に閑古鳥の鳴く状況に危機感を抱いていた
立川談志が「これからは落語家はテレビにもどんどん出て行かないと駄目だ。かといって落語では噺の最中にコマーシャルが入れられないから、
大喜利をやったら良い」と第1・第3金曜日に放送されていたプロレス中継の穴埋めの企画を探していたプロデューサーのところへ大喜利番組の企画を持ち込んだのがきっかけで始まった。
司会は当初演芸コーナーとインタビューコーナーは談志、珍芸コーナーは
5代目三遊亭圓楽が担当していたが、5代目圓楽が自らの司会の出来に納得が行かずに司会降板を申し出て、第4回から珍芸コーナーも談志が司会をするようになった。当時の珍芸コーナーのメンバーは他に
桂歌丸、柳亭小痴楽(後の
春風亭梅橋)、
柳家きん平、三遊亭円弥(後の
三遊亭圓彌)(当初決まっていたレギュラーは三遊亭さん生(現:
川柳川柳)だったが収録をすっぽかしたため、円弥が代役として参加。結局、円弥はレギュラーにはならなかった)、
林家こん平(円弥の代わりに第3回から加入)がいた(談志、5代目圓楽は真打、それ以外は全員二つ目)。また、座布団運びは女流
漫才師・
西〆子が担当した。
「金曜夜席」が好評を得たことから、当時視聴率がなかなか取れず放送休止(別名「
砂嵐枠」)するテレビ局もあった日曜日夕方の時間帯を開拓する番組にしようということで始まったのが「笑点」であった。しかし、砂嵐枠への放送時間変更については、ほぼ出演者全員がっかりしたという。ちなみに、「金曜夜席」の抜けた放送時間の後枠に入った番組は「
プロ野球アワー」であった。