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「文永」||痩せ-master.com [05/27update]

文永 wikipedia|無料辞書

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文永(ぶんえい)は、日本元号の一つ。弘長の後、建治の前。1264年から1274年までの期間を指す。この時代の天皇亀山天皇後宇多天皇鎌倉幕府将軍は宗尊親王惟康親王執権北条長時北条政村北条時宗

◆ 改元
・弘長4年2月28日(ユリウス暦1264年3月27日) 甲子革令に当たるため改元
・文永12年4月25日(ユリウス暦1275年5月22日) 建治に改元

◆ 出典
後漢書‐荀悦伝」の「漢四百有六載、揆乱反正、統武興祖宗之洪業、思光啓万嗣」。

◆ 文永期におきた出来事
・元年
・2年 続古今和歌集が成立。
・3年 惟康親王鎌倉幕府7代将軍に就任。
・4年 朝鮮半島から高麗の使者がモンゴル帝国大ハーンクビライ(フビライ)の国書を持ち来航する。
・5年 幕府はモンゴルの返書の拒絶を決定し、西国の御家人に沿岸の警備を命じる。
・8年 高麗の三別抄が日本に救援を求める。趙良弼らモンゴルの使者が再来日
日蓮佐渡島へ流罪となる。
・9年 二月騒動
・11年 モンゴル(蒙古)・高麗の連合軍が対馬、博多湾に上陸。(文永の役)
;死去
・元年 北条長時(鎌倉幕府執権 享年35)
・9年 後嵯峨天皇(法皇、享年53)、北条時章北条時輔(六波羅探題南方 享年24)

◆ 西暦との対照表
※ 茶色は小の月を示す。