終戦を迎えた後も暫くは、復興を模索して混迷する日本経済のなかで、筑豊地域は産炭事業に従事する人が多く、比較的繁栄を維持していた。しかし、
朝鮮戦争以後、日本が高度経済成長に向かうと、危険な採炭業は次第に魅力が乏しくなり、更に、
エネルギー革命が起こると石炭の需要が急激に減少した。そのため、昭和30年をピークにして、坑夫数、人口はともに急激に減少した。炭鉱都市であった旧山田市では採炭業衰退の影響が特に大きく、人口はピーク時の約4分の1まで減少した。今尚、どの地域でも牽引役となる新たな産業の育成に苦しみ、
過疎化が進んでいる。さらに市の財政も厳しくなっており、
経常収支比率は110%を超えている。これは福岡県内で最も高い数値である。