戦国時代の歴史は、大きく見ると内陸の野蛮国ながら強大になりつつあった秦による中国進出の歴史と見ることができるが、これに対抗するために他の各国が連盟を組み、共同で秦を押さえ込もう、というのが合従説の骨子である。秦以外の二カ国のみの場合も合従と呼び、
屈原は、
楚の国内で
斉との合従を唱える合従派であったことが知られている(というか反秦派として『
史記』に記述されている)。
食客毛遂が、
趙の
平原君の使者として、楚に赴き、楚の
頃襄王と合従した様子について平原君列伝に記載されている。