参議 wikipedia|無料辞書
参議(さんぎ)は、
日本の
令外官の
朝廷組織の最高機関である
太政官の職の一つである。
中納言に次ぐ官で、
四等官の中の次官(すけ)に相当する。
唐名(漢風名称)は宰相、相公。宮中の政(朝政)に
参議する(「
参政朝
議」)という意味で、朝政の議政官に位置する。
◆ 律令制
参議以上および三位以上の者を
公卿と称し、参議は
公卿に列しているが、
弁官や
蔵人頭を歴任した参議は実務者として重宝がられた。参議に官位相当を定めた
詔勅や
宣旨などが見当たらないため、相当位は無い。(
従五位上行
式部少輔兼
文章博士菅原道真は、参議に官位相当の規定が無いことは問題であるとし、
元慶6年(
882年)7月1日条「菅家文草・巻第九」で官位相当、考禄等を定めるべきと奏上している。それに対しての回答の有無は伝わらず、定かではない。)そのため、位階に応じて行・守を添えることは無い。(例えば、参議
正二位。参議
従四位下と綴る。)なお、位階によって氏姓名の綴りは、四位であれば氏名の後に姓(例えば、
平清盛朝臣)、三位以上であれば氏-姓-名(例えば、平朝臣清盛)とされた。
◆ 明治政府
明治政府における
参議とは、「
王政復古」により成立した明治政府の役職。
明治2年(
1869年)7月の
太政官制の復活により、「大臣」、「納言」と共に明治政府の重職の一つとしておかれた。大臣と納言が
公卿と諸侯出身者で占められる一方で、参議は
薩長土肥の維新功臣から任命されていた。
1871年の
廃藩置県により、公卿と諸侯の大半は一掃され、維新功臣が政府の中核となる。
明治4年(
1871年)に導入された三院制体制下において、
正院が設置された。その正院の中に、特に参議の意思決定の場として設けられたのが、「内閣」であり、後の内閣制度の萌芽となる。ただし、現在の
国務大臣に相当する
省卿は
右院を構成し、
正院(内閣)から除外されていた。
明治6年(
1873年)には、
大蔵省の強大な権限が問題となったため、制度改革により正院における参議の地位向上が明確なものとなった。つづく
明治六年の政変においては、西郷隆盛や江藤新平といった有力者が参議を辞任するなど政府の求心力が停止する中、大久保利通は
内務省を創設し自身が内務卿となると共に、参議と各省長官を兼任する制度(参議省卿兼任制)を導入し、省卿を内閣に参加させることにより、政府意思の一体化による政治の引き締めを図った。
大久保の死後、参議の中で頭角を現した
伊藤博文は、
明治13年(
1880年)の太政官改革により(太政官六部制)、参議と省卿を再び分離し、参議を個々の省務から開放させ、国全体の意思決定に専念する職務に転換させ、「内閣」そのものの強化を図る制度を図った。しかし、大臣の地位を保有する
岩倉具視は参議の地位向上を快く思わず、公家出身という身分の高さに由来する天皇との密接な関係を利用し、参議や省卿間の対立を煽ったため、参議と「内閣」の地位向上は思うようには進まなかった。
岩倉の死後、明治18年(
1885年)、伊藤の提案により太政官制度が廃止され、新たに
内閣制度が発足すると共に参議は廃止される。
◇ 明治政府の参議一覧